旭通りの歴史

【武蔵野の原野 】

大正末期の頃の国立は、松林と雑木林が広がる武蔵野の原野で“谷保村”といいました。 大正12年の関東大震災で校舎を焼失した東京商科大学(一橋大学の前身)の佐野善作学長が箱根土地 堤康次郎に移転地の申し入れをします。これを受けて、当時のヨーロッパの田園町をモデルにして、 “国立大学町”が着実に進められ、現在の国立の街の原型が出来上がりました。

【 赤い三角屋根 】

大正15年(1926)4月1日、赤い三角屋根の国立駅が完成した時は、4日間に わたる祝賀行事が催され、相撲大会、打ち上げ花火などで賑わったということです。

【 野外音楽堂 】

この頃、大学通り・富士見通りとともに旭通りも完成。現在の川島酒屋、志田そば店は 旭通り商店街の草分けです。東の高台には、野外音楽堂があって、演奏が行われていました。どんな曲を 奏でたのでしょうか。

【 商店会誕生 】

戦後、多摩地区への人口の流入や、アメリカ兵の駐留などで商業が盛んになり、昭和26年 (1951)5月22日「旭通り商店会」を設立。6月1日には、今の旭通りと坂下を中心とした区域に 「東区商店会」が結成され、旭通りは、富士見通りとともに舗装も整いました。昭和35年、 「国立銀座商店会」という名称でいよいよ賑わいを見せはじめました。

【 なつかしい映画館 】

昭和30年(1955)には「国立コニー劇場」という映画館が開館。昭和37年に 閉館した後、昭和42年改装して「国立スカラ座」となり、昭和62年、閉館になりましたが、国立では あとにも先にもただ一つの映画館でした。

【 「協同組合」として結束 】

平成13年11月28日、国立旭通り商店会連合会(はじめ会、中央会、 あさひ会)を法人化して「協同組合国立旭通り商店会」となりました。現在会員数約150。近年、 「住みたい町」上位にランクされる学園の町にふさわしい落ち着いたちょっとオシャレで個性ある町並み 、そんな風に評価する人もいます。